私たちについて

弊社は、明治20年に初代一瀬金次郎により手漉き和紙工場として創業されました。
二代目一瀬秀蔵・三代目一瀬秀治へと手漉き和紙の技術は受け継がれ、昭和33年には『ビニール障子紙 桐壺』で山梨県知事賞を受賞致しました。

昭和35年に三代目一瀬秀治により、市川地区としては四番目に機械抄き和紙に転換し、これを機会に個人経営から会社組織に改組いたしました。
以来、技術の向上と新商品開発に取り組み、昭和37年には『障子紙 リキミロン松葉』で日本経済新聞社長賞を受賞、昭和50年には『キャップ付き一枚ばりロール障子紙』で実用新案特許を取得いたしました。
平成2年には生産能力のアップと品質の安定を目指し3号機を新設し、平成7年に日本工業規格(JISマーク)表示許可工場となりました。

現在は、四代目一瀬秀富が事業を継承し、新素材・機能性素材の研究開発にも積極的に取り組み、和紙の可能性に挑戦しています。和紙の付加価値を高め社会に貢献する事が、弊社の願いです。

代表あいさつ

創業明治20年、紙づくりを始めて130余年。
先々代、先代から、障子紙の技術を受け継いできました。

現代は、生活の変化により、障子紙の需要が減少しています。
そのような中で弊社は、創意工夫を続け、新しい和紙の可能性を日々探っています。

和紙の付加価値を高め、社会に貢献することが、弊社の願いです。

代表取締役 一瀬秀富

商品のご紹介

山梨・市川大門の和紙について

市川⼤⾨地区は、千年の歴史を持つ和紙の伝統と製紙産業を基盤に発展を遂げてきました。
古くから紙漉きが⾏われていたことは、平安初期に創建され、延暦23年(804年)平塩の岡にあった天台宗平塩⼭「⽩雲寺」の旧記に記されています。

武⽥⽒時代には武⽥家の御⽤紙として⽤いられ、美⼈の素肌のように美しいことから「肌吉紙」と呼ばれました。
徳川家の時代になっても御⽤紙として幕府に献上され、市川御⽤紙漉きは家内⼯業からやがて近代的な製紙産業へとなり、昭和30年代には機械漉きも導⼊されます。

なかでも障⼦紙は全国⼀の産地となり、⽣産量⽇本⼀を誇っています。
現在、市川⼤⾨⼿漉き和紙は⼭梨県郷⼟伝統⼯芸品にも認定されています。