市川⼤⾨地区は、千年の歴史を持つ和紙の伝統と製紙産業を基盤に発展を遂げてきました。
古くから紙漉きが⾏われていたことは、平安初期に創建され、延暦23年(804年)平塩の岡にあった天台宗平塩⼭「⽩雲寺」の旧記に記されています。
武⽥⽒時代には武⽥家の御⽤紙として⽤いられ、美⼈の素肌のように美しいことから「肌吉紙」と呼ばれました。
徳川家の時代になっても御⽤紙として幕府に献上され、市川御⽤紙漉きは家内⼯業からやがて近代的な製紙産業へとなり、昭和30年代には機械漉きも導⼊されます。
なかでも障⼦紙は全国⼀の産地となり、⽣産量⽇本⼀を誇っています。
現在、市川⼤⾨⼿漉き和紙は⼭梨県郷⼟伝統⼯芸品にも認定されています。